イスラエルの3大宗教の聖地が存在するエルサレム。
前回の記事では、その特別な地域エルサレムで更に特別な金曜日に行われる聖墳墓教会での厳かで感動的なイベントの様子をお伝えしました。
この記事ではその続き、夕暮れ シャバット(金曜日の日没~土曜日の日没)直前のユダヤ教徒の拠り所、Western Wall【嘆きの壁】の様子と、何気に訪れたLion’s Gate、そして毎日行われている聖墳墓教会の閉門セレモニーの様子をお伝えします。
シャバット直前のwestern wall
18:50 中途半端な時間です。
まだ明るいので、あそこへ向かう事にします。
CARDO ユダヤ人地区です。
ここを右へ進むと、嘆きの壁を望める場所に出ます。
金曜日日没直前の嘆きの壁です。
さすが、シャバットを迎えるにあたり、ユダヤ教徒は続々と集まっています。
岩のドームも陽を浴びて黄金に輝いています。
右側に見える木の回廊は、ムスリム以外の外国人が神殿の丘へ入ることが許されている唯一の門、モロッコ門です。
今回の旅では、私の事前調査不足の為、エルサレムに計6泊しているにも関わらず、入る事ができなかったという、悔いの残る場所です。
余りに悔しかったから、翌年訪れる事になりました。
嘆きの壁エリアに降りてきました。
さっき上から見ていた所です。
ユダヤ教徒の若者は、この様にグループで輪になってぐるぐる回りながら歌っています。
昨晩は銃&兵士密度が高いイベントが行われてたけど、今日は穏やかな嘆きの壁です。
ヴィア・ドロローサのスタート地点に向かう
まだ明るいし、もう少し街歩きしましょう。
日没後、すぐ暗くなるのは分かっているけど、要所要所で警備兵が居てくれているので、観光客としては有難いです。
via dolorosaのスタート地点から辿って行こうと思い、地図を片手にここに辿り着きました。
St. Stephen’s Gateです。
又の名をLione’s Gateとも呼ばれています。
ライオンが居るからその名で呼ばれているらしいけど、どこに居るのか分かりません。
ここには7-8人と他よりかなり多くの警備兵が居ました。
そのうちの一人に「ここ、ライオンゲートでしょ?ライオンが居るって聞いたけど、どこ?」と聞くと、優しい顔で「こっちとあそこに二頭ずつ居るよ」と指差して教えてくれました。
ゲートの左右に二頭ずつライオンが彫刻されています。
確かに可愛い…。
妙に多くの警備兵が居た事に、若干の違和感を覚えたけど、そんなに気にしていませんでした。
しかし、ホテルへ戻った後、TVを見てビックリしました。
今朝起こった銃撃事件は、ここLion’s Gateで起こっていたのです。
知らなかったとは言え、同僚が犠牲になって心穏やかではない兵士達に、能天気な観光客丸出しで申し訳ない気持ちで一杯です。
この後、ヴィア・ドロローサを辿って行ったのですが、薄暗い中の写真はあまりキレイでないので、昼間の様子を別記事でご紹介します。
聖墳墓教会 鍵の管理はイスラム教徒
聖墳墓教会は21時に閉門します。
イエスが息絶えたとされる場所であるこの教会、キリスト教徒にとっては特別な場所であるのですが、教会の鍵を持っているのはキリスト教徒ではないのです。
鍵の管理は、800年以上も前から由緒あるイスラム教徒の2家族に任されています。
この取り決めは、1187年に十字軍から聖地奪還を果たしたイスラム教徒のサラディン(アイユーブ朝の創始者)の時代にまでさかのぼります。
なぜイスラム教徒が?その起源については諸説ありますが、イスラム教がキリスト教よりも優位にあることを主張するために、サラディンが鍵の管理を任せたのではないかと考える説もあるそうです。
また、複数の宗派が独自の管理区域を持っている聖墳墓教会内では、宗派間でいさかいがしばしば起きるため、中立の立場であるイスラム教徒が鍵の管理を委ねられた、と現在鍵の管理を任せられている方の談話もありました。
せっかくエルサレムに滞在しているで、ムスリムが教会の鍵を掛ける様子を見学する事にしました。
私が聖墳墓教会に到着した20:45には、既に左側のドアが閉められていました。
なかなか動きがなかったのですが、20:58 鍵穴の所までの脚立がおもむろに立てられました。
閉門に伴って、扉の外に居た修道士達が教会の中に入って行きました。
数名は教会内で夜を過ごす様です。
そして、右のラフな格好のおじさんが、エルサレムでも由緒あるイスラム教徒の2家族のうちの一人、本日の閉門を任された方です。
20:59 右手に鍵を持ったおじさんが動き出しました。
脚立に登って鍵を閉めています。
扉が閉められて、脚立を降りました。
閉門したので、お手伝いしてくれる修道士達は居ません。
あの大きな脚立はどうするのだろう…
おぉ~その窓から脚立の受け渡しができるのね。
窓の奥では修道士が脚立を受け取っていました。
さすが宗教行事。時間にのっとってとてもシステマティックに行われていました。
この後おじさんは「That’s it! Go、go! Don’t stay here!」と言いながらギャラリーを追い払っていました。
この日は旧市街のアクセスが規制されていたので、ギャラリーが私を含めて数名でしたが、翌年観に行ったら、ギャラリーの多さにビックリ!場所取りが大変でした。
ホテルへ帰ります
21時過ぎの聖墳墓教会から一人で戻ります。
嘆きの壁はダマスカス門までほぼ一直線なので簡単だけど、聖墳墓教会から旧市街を出る道のりは自信がありません。
僅かな記憶を頼りに、旧市街内を小走りで進みました。
少し明るい道に出て、安心しました。
ユダヤ人の集団が居る、という事は、恐らく嘆きの壁からダマスカス門へ抜ける道に出たのでしょう。
ダマスカス門です。
やはり、まだバリケード中です。
ただ、旧市街から外へは出して貰えました。
旧市街周囲の道も、昼間と同じ様にバリケードされていました。
昨晩同じ所を通った時は、多くの人が居て店も開いていて賑やかでした。
観光に気を取られて忘れていたけど、バリケードだらけで大変だったのよね。
人が居なさ過ぎて怖い?いや、人が居ないから安心なのか?分からなくなりながら、無事ホテルまでたどり着きました。
部屋に戻りTVを付けて、初めて今日起きた事件の詳細を知りました。
こんな大変な事になっていたなんて…。
知っていたら旧市街へは、というか、バリケードには近寄らなかったと思う。
知らなくてラッキーだったのか?
いや、結果無事だったので良かったけど、本来は巻き込まれない様な行動を取るべきだったのか?
今となっても、正解が分かりません。